ビリギャルよりビリから慶應を通信で卒業しました!-卒業までの勉強法書いていきます-

高校中退から高卒認定試験を受けて、慶應義塾大学の通信教育課程を卒業しました。 卒業まで5年間において自分が得た、経験や知識をブログに示していきたいと思います。

慶應通信におけるレポートの書き方⑷パラグラフ完成、下書きをつくる

こんにちは。

レポート作成の説明も終わりに近づいてきました。

あとで、まとめページを作ろうと思っていましたが、意外に文字数が増えてきました。どのくらいの文字数なら1つのブログ記事に収まるのか心配になってきて、ネットで調べてみました。

15000字や65,000字などの文字数制限があるとの情報があります。

どれが本当なのでしょうか。

15000字では確実に無理です。

65000字なら大丈夫と思います。

ご存知の方がいれば教えていただけると有難いです。

とりあえず完成させることが先決ですね。

 

今回は、⑷パラグラフ完成、下書きをつくるについて説明していきます。

 

現在のレポート例の進行状況

題名 日本の近代化に対する坂本龍馬の役割
序章
本論
第1章 幕末の日本
・江戸時代はどのような生活だったか
・江戸時代はどのような政治体制だったのか
・外国との関係はどのようなものであったか
・明治維新があったので日本の生活は西洋化、近代化に向かった
・近代化・西洋化とは何か
・黒船来航と幕府の対応
第2章 政治面における役割
a・坂本龍馬は薩長同盟成立にどのような形で貢献したのか
【トピックセンテンス[自分の言葉でまとめた文章]】
坂本龍馬は、考え方の違いから敵対していた薩摩藩と長州藩を交渉の場につかせ、軍事同盟である薩長同盟の成立に貢献した。
【サブセンテンス[文献の引用、内容の補足・具体例・言いなおし]】
坂本龍馬は犬猿関係にあった薩摩藩と長州藩を仲介して、薩長同盟成立に貢献した。両藩は武力衝突の可能性があったが、この軍事同盟が成立したことで平和的に歴史が動くことにつながった。龍馬は両藩の代表者を説得して、京都で会談するきっかけを作った。両者の藩内事情を把握していた龍馬は自らが設立した会社、亀山社中も利用して仲介を進めた。文献A 21
b・薩長同盟とは何か
「1866年に成立した薩摩藩と長州藩による倒幕を共通目標とした軍事同盟。倒幕派のリーダー的存在の長州藩と公武合体を押し進め幕府に最も近いといえる長州藩が、利害の一致のより倒幕に向かった。坂本龍馬などの尽力によって両藩が意思を変え同盟が成立したと言われる」文献B 134
c・各藩の関係性はどうだったのか
「江戸末期の、徳川幕府は封建的な国家であった。幕府に近い存在の藩もあれば、内面では幕府をよく思っていない藩もあった。また多くの藩は、財政難の状況にあって、自藩の存続だけで精一杯の状況だった」テキスト12
d・船中八策とは何か
e・船中八策が、徳川慶喜に大政奉還を決意させたのか
f・徳川慶喜はどのような考えを持っていたのか
第3章 経済面における役割
・海援隊は何をしていたのか
・商人としての坂本龍馬
・亀山社中とはどのような団体なのか
・坂本龍馬はどうやって資金を捻出していたのか
・坂本龍馬の交友関係について
結論

(全ての項目について太字になっているaのような形になっていると考えてください)

 

⑷パラグラフ完成、下書きをつくる

 

 

1.仮パラグラフにツッコミを入れる

仮のパラグラフが集まってきたら、それを読んでみます。

そして、文章に自分でツッコミを入れてみます。
例えば「それって矛盾してないか」とか「本当にそんな事実はあったのか」といった感じです。

どんどんツッコミを入れられる部分を探します。

ツッコムことができる部分に、レポートの弱点になる可能性があります。

 

そして、そのツッコミに対して、さらに自分で反論してみます。

「Aならば、Bになるので、矛盾ではない」

「この研究論文でCさんも、その事実を述べている」

といった感じです。

反論するためには、新たな文献を探したり、文章の構造が論理的に破綻していないか確認したりする必要があります。

 

次に、そのツッコミと反論を1つの文章にしてみます。

例えば

「Aに対しては、Bのような反論が考えられる。しかし、それについてはCという実験結果がDから公表されている」

といった自作自演の討論を記述する感じです。

このツッコミと反論の文章はレポートの論証を強くするために使います。

読んでいてパラグラフの内容が、少し説得力に欠けるなと感じたとします。

そこにツッコミと反論の文章をパラグラフに加えていきます。

そのような記述を加えると、レポートはどんどん補強されて、他の人が批判することができなくなってきます。

頑張ってレポートを強いものに育てていきましょう。

 

 

2.文章を綺麗にする

パラグラフが完成に近づいてきたら、文章自体を整えていきます。

これはパラグラフの内容を変えることではありません。

文章としておかしくないか、読みにくくないかなどを確認して、文体を改善する作業です。

具体的には次のようなポイントを確認して下さい。

・主語と述語があるか
・1つの文が短くなっているか
・修飾語・被修飾語は近くにあるか
・同じ言葉が続いていないか

主語と述語がきちんと存在するか、修飾語はどの言葉にかかっているかすぐに分かるかなど、文章の読みやすさを確認していきます。

同じ内容を書いても、文章がおかしければ、読み手に正しく伝わらずに、内容自体も間違っていると判断される可能性もあります。

何回も読み直して、おかしいところがないか確認して、修正していきましょう。

 

 

3.論理的な構成を備える

各パラグラフは、トピックセンテンスの内容が論理的なつながりがあるように並べなければいけません。

ある程度パラグラフが完成してきたら、それぞれのパラグラフについての、前後関係や論理関係を考えて、並べ替えていきます。

並べ替えは次のような順序でおこなっていきます。

第2章 政治面における役割
a坂本龍馬は薩長同盟成立にどのような形で貢献したのか
・トピックセンテンス
坂本龍馬は、考え方の違いから敵対していた薩摩藩と長州藩を交渉の場につかせ、軍事同盟である薩長同盟の成立に貢献した。
・サブセンテンス
坂本龍馬は犬猿関係にあった薩摩藩と長州藩を仲介して、薩長同盟成立に貢献した。両藩は武力衝突の可能性があったが、この軍事同盟が成立したことで平和的に歴史が動くことにつながった。龍馬は両藩の代表者を説得して、京都で会談するきっかけを作った。両者の藩内事情を把握していた龍馬は自らが設立した会社、亀山社中も利用して仲介を進めた。文献A 21
b・薩長同盟とは何か
「1866年に成立した薩摩藩と長州藩による倒幕を共通目標とした軍事同盟。倒幕派のリーダー的存在の長州藩と公武合体を押し進め幕府に最も近いといえる長州藩が、利害の一致のより倒幕に向かった。坂本龍馬などの尽力によって両藩が意思を変え同盟が成立したと言われる」文献B 134
c・各藩の関係性はどうだったのか
「江戸末期の、徳川幕府は封建的な国家であった。幕府に近い存在の藩もあれば、内面では幕府をよく思っていない藩もあった。また多くの藩は、財政難の状況にあって、自藩の存続だけで精一杯の状況だった」テキスト21 
 
a~cの3項目が、すべてaのように完成したパラグラフになっていたと仮定します。
パラグラフa~cを使い、坂本龍馬の功績の1つとして「薩長同盟成立に貢献したこと」を説明するとします。
a、b、cの並びのままでは、論ずる順序としてよくないです。
論ずる順序は以下のような形がいいです。
 
1 薩長同盟とは 〜というものであった。b
2 この時期の各藩には、敵対関係のところもあった。薩摩藩と長州藩は敵同士だった。c
3 坂本龍馬の働きによって敵同士の薩長が手を結んだ。それが平和的な形での明治維新につながった。 a
 

したがって各項目を並べる順序はb→c→aになります。

 

b・薩長同盟とは何か
1866年に成立した薩摩藩と長州藩による倒幕を共通目標とした軍事同盟。倒幕派のリーダー的存在の長州藩と公武合体を押し進め幕府に最も近いといえる長州藩が、利害の一致のより倒幕に向かった。坂本龍馬などの尽力によって両藩が意思を変え同盟が成立したと言われる 文献B 134
c・各藩の関係性はどうだったのか
江戸末期の、徳川幕府は封建的な国家であった。幕府に近い存在の藩もあれば、内面では幕府をよく思っていない藩もあった。また多くの藩は、財政難の状況にあって、自藩の存続だけで精一杯の状況だった テキスト21
a・坂本龍馬は薩長同盟成立にどのような形で貢献したのか
【トピックセンテンス[自分の言葉でまとめた文章]】
坂本龍馬は、考え方の違いから敵対していた薩摩藩と長州藩を交渉の場につかせ、軍事同盟である薩長同盟の成立に貢献した。
【サブセンテンス[文献の引用、内容の補足・具体例・言いなおし]】
坂本龍馬は犬猿関係にあった薩摩藩と長州藩を仲介して、薩長同盟成立に貢献した。両藩は武力衝突の可能性があったが、この軍事同盟が成立したことで平和的に歴史が動くことにつながった。龍馬は両藩の代表者を説得して、京都で会談するきっかけを作った。両者の藩内事情を把握していた龍馬は自らが設立した会社、亀山社中も利用して仲介を進めた。文献A 21

並べかえると上記のような形にになります。

 

【論理的な文章構成】

ここで論理的な構成とは、どういうことなのかを、少し説明したいと思います。

論理的な構成を備えるとは、文章の結論を導いていく順序や過程、方法が妥当といえる形になっているということです。

書いている内容自体が正しいかは別問題です。

 

例えば

AならばBである。

Aである。

という2つの文がある場合に、この2つの文から

Bである。

という結論を導き出すような形が、論理的に妥当といえるものです。

 

反対に

AならばBである。

Bである。

から

Aである。

を導くことは論理的に妥当とはいえません。

この時、AやBの内容自体が正しいかどうかは論理的な妥当性には関係ありません。

あくまで結論を導くまでの過程の問題です。

上記の例のように、一般的な法則Aのようなものを大前提にして、Bという結論を導く方法を演繹法といいます。

 

もう一つの代表的な方法として、帰納法があります。

帰納的方法とは

pはBである、qもBである、rもBである、、、

という結果から

すべてはBである。

という結論を導くような方法です。

「これだけ実験をやりました。だからこの結果は妥当ですよね」という説得方法です。

帰納法は演繹法よりは、少し弱い論証になります。

他にも論証形式はいろいろあります。

 

慶應通信では総合科目に「論理学」という科目があります。

はじめての人にはとっつきにくい内容で、レポートが難関だと評判の科目です。

しかし、レポートや論文を書くことだけでなく、勉強していく上でも役に立つの科目なので履修しておいても損はないと思います。

4単位で科目試験は簡単な方なので、その点でもオススメです。

レポートが論理的に妥当な文章になっているかを確認することも、完成に向けて必要になります。

 

 

4.下書きを完成させる

アウトラインの各項目がパラグラフとして完成してきて、論ずる順序が決まってきたら、それだけでも、ある程度論文の形になってきます。

それを、論文の下書きとして完成させるためには、各章の冒頭に、その章で論ずる内容の説明文をつくります。

 

第2章 政治面における役割
【第2章の説明文】
坂本龍馬は日本の近代化に対して政治的な面でも大きく貢献した。代表的な役割として次の2点を挙げることができる。
1点目は薩長同盟の成立を仲介したことで、2点目は船中八策を草案して、大政奉還を導いたことである。
この章では、はじめに薩長同盟についての坂本龍馬の役割について論じ、そのあとで船中八策によって大政奉還を導いた功績について述べていく。
 
このような説明文を章の冒頭に持ってきてその後に、アウトラインから発展させたパラグラフの集まりを並べていきます。
 
第2章 政治面における役割
【第2章の説明文】
坂本龍馬は日本の近代化に対して政治的な面でも大きな貢献した。代表的な役割として次の2点を挙げることができる。
1点目は薩長同盟の成立を仲介したことで、2点目は船中八策を草案して、大政奉還を導いたことである。
この章では、はじめに薩長同盟についての坂本龍馬の役割について論じ、そのあとで船中八策によって大政奉還を導いた功績について述べていく。
b・薩長同盟とは何か
「1866年に成立した薩摩藩と長州藩による倒幕を共通目標とした軍事同盟。倒幕派のリーダー的存在の長州藩と公武合体を押し進め幕府に最も近いといえる長州藩が、利害の一致のより倒幕に向かった。坂本龍馬などの尽力によって両藩が意思を変え同盟が成立したと言われる」文献B 134
c・各藩の関係性はどうだったのか
「江戸末期の、徳川幕府は封建的な国家であった。幕府に近い存在の藩もあれば、内面では幕府をよく思っていない藩もあった。また多くの藩は、財政難の状況にあって、自藩の存続だけで精一杯の状況だった」テキスト12
a・坂本龍馬は薩長同盟成立にどのような形で貢献したのか
坂本龍馬は、さまざまな方法で敵対していた薩摩藩と長州藩を交渉の場につかせ、軍事同盟である薩長同盟の成立に貢献した。
坂本龍馬は犬猿関係にあった薩摩藩と長州藩を仲介して、薩長同盟成立に貢献した。両藩は武力衝突の可能性があったが、この軍事同盟が成立したことで平和的に歴史が動くことにつながった。龍馬は両藩の代表者を説得して、京都で会談するきっかけを作った。両者の藩内事情を把握していた龍馬は自らが設立した会社、亀山社中も利用して仲介を進めた。文献A 21
d・船中八策とは何か
e・徳川慶喜はどのような考えを持っていたのか
f・船中八策は大政奉還のに影響を与えたのか

 

そして、各項目に関するパラグラフを文章としてつなぎ合わせていきます。

 

第2章 政治面における役割
坂本龍馬は日本の近代化に対して政治的な面でも大きく貢献した。代表的な役割として次の2点を挙げることができる。
1点目は薩長同盟の成立を仲介したことで、2点目は船中八策を草案して、大政奉還を導いたことである。
この章では、はじめに薩長同盟についての坂本龍馬の役割について論じ、そのあとで船中八策によって大政奉還を導いた功績について述べていく。
薩長同盟とは1866年に成立した薩摩藩と長州藩による倒幕を共通目標とした軍事同盟である。この同盟によって、倒幕派のリーダー的存在の長州藩と公武合体を押し進め幕府に最も近いといえる長州藩が、利害の一致のより共同して倒幕に向かった。坂本龍馬などの尽力によって、敵対していた両藩が意思を変え同盟が成立したと言われる。文献B 134
江戸末期の徳川幕府は、封建的な国家であった。幕府に近い存在の藩もあれば、内面では幕府をよく思っていない藩もあった。また多くの藩は、財政難の状況にあって、自藩の存続だけで精一杯の状況だった。テキスト12
また、長州藩などは幕府から目をつけられていて、武器を集めることができないような状況でもあった。
薩摩藩と長州藩は思想の違いから犬猿関係の状態であった。
そのように考え方の違いから敵対していた薩摩藩と長州藩の代表者を、坂本龍馬は交渉の場につかせ、軍事同盟である薩長同盟の成立に貢献した。
坂本龍馬の仲介により、1866年に薩長同盟が成立した。両藩は武力衝突の可能性があったが、この軍事同盟が成立したことで平和的に歴史が動くことにつながった。(ここで薩長同盟の具体的な内容を記述する)
龍馬は両藩の代表者を何度も説得して、京都で会談するきっかけを作った。両者の藩内事情を把握していた龍馬は自らが設立した会社、亀山社中も利用して仲介を進めた。文献A 21
その後、倒幕が成功して、薩長が中心となり新政府が樹立されることになった。
d・船中八策とは何か
e・徳川慶喜はどのような考えを持っていたのか
f・船中八策は大政奉還に影響を与えたのか

 

このようにして、各パラグラフをつなぎ合わせて文章を組み立てていきます。

各章についても同じような作業をしていきます。

これが終わるとレポート・論文はかなり完成に近い状態になってきているはずです。

 

この時点で、一度文字数を確認してみましょう。

WORDなどでは文字数を自動でカウントしてくれます。

慶應通信のレポート課題の多くは、論ずる内容が指定されています。

制限字数に近い分量で論じることができるようになっているはずです。

したがって、文字数が少なければ、論ずるべきことが足りてない状態で、多ければ余分なことが書いてあるということです。

もう一度自分の下書きを見直して、過不足な部分がないか確認して調整してみましょう。

 

これでレポートの本論に関しては、ある程度完成に近い状態になりました。

次回は⑸注、引用・参照、参考文献について説明していきたいと思います。

この部分は普段の生活などにおいて全く馴染みない言葉です。

しかし、論文・レポートを完成させる上では必要不可欠な存在です。

大学でレポートを書き出した頃は、この「注、引用、参考文献」にとても手を焼き、レポートが不合格になったりしました。

しかし、決まりがあるので、一度覚えると、それ通りにやるだけです。

重要ですのでしっかりマスターしましょう。

 

最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

今回の進展状況

仮のパラグラフ完成(前回までの状態)

題名 日本の近代化に対する坂本龍馬の役割
序章
本論
第1章 幕末の日本
・江戸時代はどのような生活だったか
・江戸時代はどのような政治体制だったのか
・外国との関係はどのようなものであったか
・明治維新があったので日本の生活は西洋化、近代化に向かった
・近代化・西洋化とは何か
・黒船来航と幕府の対応
第2章 政治面における役割
a・坂本龍馬は薩長同盟成立にどのような形で貢献したのか
・トピックセンテンス[自分の言葉でまとめた文章]
坂本龍馬は、考え方の違いから敵対していた薩摩藩と長州藩を交渉の場につかせ、軍事同盟である薩長同盟の成立に貢献した。
・サブセンテンス[文献の引用、内容の補足・具体例・言いなおし]
坂本龍馬は犬猿関係にあった薩摩藩と長州藩を仲介して、薩長同盟成立に貢献した。両藩は武力衝突の可能性があったが、この軍事同盟が成立したことで平和的に歴史が動くことにつながった。龍馬は両藩の代表者を説得して、京都で会談するきっかけを作った。両者の藩内事情を把握していた龍馬は自らが設立した会社、亀山社中も利用して仲介を進めた。文献A 21
b・薩長同盟とは何か
「1866年に成立した薩摩藩と長州藩による倒幕を共通目標とした軍事同盟。倒幕派のリーダー的存在の長州藩と公武合体を押し進め幕府に最も近いといえる長州藩が、利害の一致のより倒幕に向かった。坂本龍馬などの尽力によって両藩が意思を変え同盟が成立したと言われる」文献B 134
c・各藩の関係性はどうだったのか
「江戸末期の、徳川幕府は封建的な国家であった。幕府に近い存在の藩もあれば、内面では幕府をよく思っていない藩もあった。また多くの藩は、財政難の状況にあって、自藩の存続だけで精一杯の状況だった」テキスト12
d・船中八策とは何か
e・船中八策が、徳川慶喜に大政奉還を決意させたのか
f・徳川慶喜はどのような考えを持っていたのか
第3章 経済面における役割
・海援隊は何をしていたのか
・商人としての坂本龍馬
・亀山社中とはどのような団体なのか
・坂本龍馬はどうやって資金を捻出していたのか
・坂本龍馬の交友関係について
結論
                                    ↓
パラグラフの順序を考える
1 薩長同盟とは 〜〜というものであった。
2 この時期の各藩には、敵対関係のところもあった。薩摩藩と長州藩は敵同士だった。
3 坂本龍馬の働きによって敵同士の薩長が手を結んだ。それが平和的な形での明治維新につながった。
                                    ↓
パラグラフを並びかえる
b・薩長同盟とは何か
「1866年に成立した薩摩藩と長州藩による倒幕を共通目標とした軍事同盟。倒幕派のリーダー的存在の長州藩と公武合体を押し進め幕府に最も近いといえる長州藩が、利害の一致のより倒幕に向かった。坂本龍馬などの尽力によって両藩が意思を変え同盟が成立したと言われる」文献B 134
c・各藩の関係性はどうだったのか
「江戸末期の、徳川幕府は封建的な国家であった。幕府に近い存在の藩もあれば、内面では幕府をよく思っていない藩もあった。また多くの藩は、財政難の状況にあって、自藩の存続だけで精一杯の状況だった」テキスト21
a・坂本龍馬は薩長同盟成立にどのような形で貢献したのか
・トピックセンテンス[自分の言葉でまとめた文章]
坂本龍馬は、考え方の違いから敵対していた薩摩藩と長州藩を交渉の場につかせ、軍事同盟である薩長同盟の成立に貢献した。
・サブセンテンス[文献の引用、内容の補足・具体例・言いなおし]
坂本龍馬は犬猿関係にあった薩摩藩と長州藩を仲介して、薩長同盟成立に貢献した。両藩は武力衝突の可能性があったが、この軍事同盟が成立したことで平和的に歴史が動くことにつながった。龍馬は両藩の代表者を説得して、京都で会談するきっかけを作った。両者の藩内事情を把握していた龍馬は自らが設立した会社、亀山社中も利用して仲介を進めた。文献A 21
                                   ↓
章の説明文を追加する
第2章 政治面における役割
第2章の説明文
坂本龍馬は日本の近代化に対して政治的な面でも大きな貢献した。代表的な役割として次の2点を挙げることができる。
1点目は薩長同盟の成立を仲介したことで、2点目は船中八策を草案して、大政奉還を導いたことである。
この章では、はじめに薩長同盟についての坂本龍馬の役割について論じ、そのあとで船中八策によって大政奉還を導いた功績について述べていく。
b・薩長同盟とは何か
「1866年に成立した薩摩藩と長州藩による倒幕を共通目標とした軍事同盟。倒幕派のリーダー的存在の長州藩と公武合体を押し進め幕府に最も近いといえる長州藩が、利害の一致のより倒幕に向かった。坂本龍馬などの尽力によって両藩が意思を変え同盟が成立したと言われる」文献B 134
c・各藩の関係性はどうだったのか
「江戸末期の、徳川幕府は封建的な国家であった。幕府に近い存在の藩もあれば、内面では幕府をよく思っていない藩もあった。また多くの藩は、財政難の状況にあって、自藩の存続だけで精一杯の状況だった」テキスト12
a坂本龍馬は薩長同盟成立にどのような形で貢献したのか
・トピックセンテンス[自分の言葉でまとめた文章]
坂本龍馬は、考え方の違いから敵対していた薩摩藩と長州藩を交渉の場につかせ、軍事同盟である薩長同盟の成立に貢献した。
・サブセンテンス[文献の引用、内容の補足・具体例・言いなおし]
坂本龍馬は犬猿関係にあった薩摩藩と長州藩を仲介して、薩長同盟成立に貢献した。両藩は武力衝突の可能性があったが、この軍事同盟が成立したことで平和的に歴史が動くことにつながった。龍馬は両藩の代表者を説得して、京都で会談するきっかけを作った。両者の藩内事情を把握していた龍馬は自らが設立した会社、亀山社中も利用して仲介を進めた。文献A 21
d・船中八策とは何か
e・徳川慶喜はどのような考えを持っていたのか
f・船中八策は大政奉還のに影響を与えたのか
                                   ↓
各パラグラフをつなぎ合わせる
第2章 政治面における役割
坂本龍馬は日本の近代化に対して政治的な面でも大きく貢献した。代表的な役割として次の2点を挙げることができる。
1点目は薩長同盟の成立を仲介したことで、2点目は船中八策を草案して、大政奉還を導いたことである。
この章では、はじめに薩長同盟についての坂本龍馬の役割について論じ、そのあとで船中八策によって大政奉還を導いた功績について述べていく。
薩長同盟とは1866年に成立した薩摩藩と長州藩による倒幕を共通目標とした軍事同盟である。この同盟によって、倒幕派のリーダー的存在の長州藩と公武合体を押し進め幕府に最も近いといえる長州藩が、利害の一致のより共同して倒幕に向かった。坂本龍馬などの尽力によって、敵対していた両藩が意思を変え同盟が成立したと言われる。文献B 134
江戸末期の徳川幕府は、封建的な国家であった。幕府に近い存在の藩もあれば、内面では幕府をよく思っていない藩もあった。また多くの藩は、財政難の状況にあって、自藩の存続だけで精一杯の状況だった。テキスト12
また、長州藩などは幕府から目をつけられていて、武器を集めることができないような状況でもあった。
薩摩藩と長州藩は思想の違いから犬猿関係の状態であった。
そのように考え方の違いから敵対していた薩摩藩と長州藩の代表者を、坂本龍馬は交渉の場につかせ、軍事同盟である薩長同盟の成立に貢献した。
坂本龍馬の仲介により、1866年に薩長同盟が成立した。両藩は武力衝突の可能性があったが、この軍事同盟が成立したことで平和的に歴史が動くことにつながった。(ここで薩長同盟の具体的な内容を記述する)
龍馬は両藩の代表者を何度も説得して、京都で会談するきっかけを作った。両者の藩内事情を把握していた龍馬は自らが設立した会社、亀山社中も利用して仲介を進めた。文献A 21d
その後、薩長が中心となって、倒幕がなされて新政府が樹立されることになった。
d・船中八策とは何か
e・徳川慶喜はどのような考えを持っていたのか
f・船中八策は大政奉還のに影響を与えたのか
 
参考文献
戸田山和久著『論文の教室』